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150日目

生きております。

今日で断酒150日目となりました。

こちらのブログは私の中で、どうにも続けられる気がしなくなってしまったので、サブでやっていた方をメインにすることにして10日程経ちました。

時々更新で、ゆるくやっていきます。

ちょっとかたのちからぬいて。

 

いろいろありますが、断酒の日々は進む、です。

こちらで読者になっていただいた方、ありがとうございました。

自分のなすべきことをやる

この週末は、SLIPされた方や、断酒をやめようと考えているという方の思いや人生、生活に思いをはせていたら、すっかりそちらに意識が引っ張られてしまって、自分のことを忘れそうになっていました。

誰かのことにかまけているのは、現実逃避なのか?

誰かのことを思って、頭を悩ませ、少しでも気持ちが軽くなればといろいろ伝えたり、自分の思いをつぶやいてみたり。

だけど、その間はすっかり自分のことは抜け落ちてしまう。

同時にいろんなことはできないもんだ、きっと誰でもそう。

私なんかは特に昔から自分でも気づかぬうちに魂が抜けて白昼夢を見ているようなタイプなので、「今、私がいるのは、ここ!!」と強く意識しないとすぐぼやっとしてしまって。

いかんいかん。

また新しい一日が始まった。

今日は今日のこと。今私が向かい合うべきなのは、私の「ぼんやり・うっかりミス」問題。

昨日本屋さんに行ったら、「99%ミスをなくす!」という特集の雑誌があったので、全部はまだ読めていないけれど、応用できそうなところは頂いて、少しでも改善できるように。

自分のことを考えて、やると決めたことをやろう。

ここ、ここ、ここ!

今私がいるのは、ここ!もー、すぐ飛んでいきそうになる。

 

すっかり、このブログも私の生活も、「お酒との付き合い方」ではなく「生き方を考える」みたいな様相を呈してきております。

結局、なんで飲んでしまっていたかがポイントで、体調不良等のお酒を飲むことだけで起きていた問題なら飲まないだけで終わりだし、飲んでしまう理由が、自分の抱える根本的な問題と密接にかかわっている限り、飲まないことは問題解決の大前提であって、そのうえで解決に臨まなくてはいけないんだ。

どなたかがおっしゃっていた。

「お酒はわるくない」「飲む飲まないの選択は自由」と。

私もそう思う。

私の心の中に問題があったから、私は「お酒」に逃げた。

自分のありたい姿に対して「お酒は必要か」が大切で、断酒がすべてではない。

私の場合は、「飲んでいては問題と向き合えない」と思ったから飲まない。

もうそこは決まっているから、このブログとの付き合い方も、どうしていったらいいのかな~と最近思案中。

 

 

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断酒と仕事の共通点

お酒については(今のところ)落ち着いているのですが、仕事で躓きまして。。。

結構引きずってます。

が、ちょっと気づいたこと。

「一日断酒」みたいに、仕事も、「今日一日」ミスなくやろうって取り組めばいいんじゃないか。

これからずーっとミスなくやらねば!挽回せねば!!と思うと、とても苦しくてつらい。

でも、「今日一日」って考えて、とりあえず「今日一日」ミスなくこなすことを目標に取り組めばいいと思えばちょっと気がラク。

 

世の中てきには、そんなん普通!めちゃくちゃ当たり前のことやん!なんだろうなぁ…。

でも、私は気づかなかった、思いつかなかった、ずっと。

いかに漫然と仕事していたのか。

だめだなぁ。でも、これまでを変えることはできないから、月曜からそうしよう。

 

断酒してきたおかげで気持ちに折り合いが付きました。

これで休みにちゃんと休むことができそう。

 

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直していこう

最近思ったこと。

アルコール依存症者において「お酒」が主の問題である人って、じつは少ない、もしかしたらいないんじゃないか。

お酒による躓きは、表層で、その下に本当の問題が隠れていることが殆どなんじゃないか、と (不勉強なので、当然の常識だったらすみません)。

 

私の心には瑕疵があって、ある日、それをお酒がすうっと満たしてくれて、隙間が埋められた、直されたと感じた。その時依存が始まったんじゃないか。

だけど、じつはお酒はその瑕疵から内部をじわじわと侵食していって、気づかないうちに心がのっとられてしまう。

瑕疵は、もちろん直されない、だって有害なんだから。

お酒に瑕疵も心もすべて覆われてしまって、いつの間にか、見えなくなってしまう。

だけど、ずっと疼いていて、でも、それがなぜなのか分からない。お酒が足りないのか?だったらもっと飲まないと、もっと、もっと…。

だけど、目の前は暗くなっていくばかり。つらいことばっかりだ。

ふと、毎日こんなに沢山お酒を飲んでいるから毎日体調が悪い、だから辛いんだ、お酒が全部悪いに違いないと思った。

それで、お酒をやめてみたけれど、そしたらそこには無数の瑕疵があることが分かった。

 

あまりに長くお酒で覆い続けると、堅牢になってしまった覆いをはずすことが大変、瑕疵を認識するまでに大層時間がかかってしまう。あるいは、なにもかもが一体化してしまって、もうはずせなくなってしまうかも。

覆いをはずしてからでないと、瑕疵は、直せない。

直そうと思えるのはお酒による害が解消されてきたからかな。

 

覆いがはずれて分かった私の瑕疵。

そんな自分をどうしようもないだめな人間だって思う日もあるけれど、諦めたくない。

自分を、幸せになるにふさわしい人間だと思えるよう、直していきたい。

そしてそれは、自分ひとりでやるしかない、孤独な作業だと思っていたけれど、そうではないんだなと思うこの頃。

 

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拘りのこと

最近ツイッターで相互フォローさせて頂いていた健康管理士の方とのやりとりで、私の「こうでなければならない」「こうであってはいけない」みたいな強い思いは、「強い拘り」であると気づきました。

「拘り」といえば、私はADD疑惑があるので、そういう気質の発露なんだろーなぁと思ったり。

ADDっ子の気質に、「強い拘り」というのがあるようなので。

それに、私は、教師の母とこれまた教師の祖父の管理の下育ったので(特に亡祖父は校長先生とか地域の役職についていて厳格で外面も良かった)、道徳的に「正しく」あらねばならないと強く刷り込まれているのだと思います。

だから、「正しい」生き方・考え方をせにゃならんのに、なかなかそのようにできないことへの葛藤で自分を追い詰めてしまうのかなーと思いました。

お酒を飲んで酔っていれば、そういうことから解放された。

「べき」「せねば」「あってはならない」を忘れられる。

 

以前うつになって休職した職場がまた、「法律」なんてものを扱う大変厳しい人たちに囲まれた、がっちがちのところだったので、相乗効果がすごかったんだろう。

だからお酒ばっか飲んでたな。子供もいなかったし、夫も仕事であまり家にいなかったから、どんだけでも飲んでられた。

あー、思い出しただけで孫悟空みたいに頭のわっかが締め付けられるような感じがする。

だけど、法律とかプログラミングとか、はっきり定義されたものって安心するから、そういう仕事に就いてきたし今も就いているんですよね。今の職場も前職と同じ仕事だけど、ボスが割とゆるーい人らだし、大変な仕事はやらされないので追い詰められずにやってられます。

 

それは置いといて、「拘り」ですが、私が飲酒生活から足を洗おうと思ったのは、私が思う「お母さんとはこうあるべき」だと拘っていた姿が、飲酒していては叶いそうもなかったからというところもあります。

おかげで今はお酒をやめていられるし、そのことでいいことはあっても悪いことはない。

だから、「拘り」が悪いんじゃなくて、「いい拘り」と「よくない拘り」があるんだろうな。

多分これから先も、私は「拘り」を完全に捨てることはできないだろう。

それなら「いい拘り」と「よくない拘り」の判別を、うまくできるようになりたい。

やんわりとあいまいにしておくこと、妥協も必要だというのは分かるんだけれど、まだできそうにない。

「よくない拘り」の判別をして、それを捨てる練習をしていくうちにグレーだったり、妥協だったりもできるようになればいいな。

もちろんすべてに強い拘りがあって何事にも妥協できないという訳じゃないので、きっとできるんじゃないかな。

 

もやもやと抱えていた問題がひとつ、形を持ったおかげで少し安心した。

思わぬ流れからたどり着けた。

やっぱり自分だけで考えてちゃだめだな。

人の話を聞くのって大切だ。

関わってくれる人がいるのって、本当にありがたいことです。

このブログをあげたら、またありがとうございますってリプしとこう。

 

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「可哀想な自分」に浸りすぎない

昨夜は久しぶりにかなーり落ち込んだ。

私は、こういう負の感情に、ずっと酔っ払って蓋をしてきたんだな。

しらふで向き合うのは結構堪える。

布団に包まっても、不安とやるせなさで震えと吐き気が止まらず。

こんなことは、前職の際うつになって休職した頃ぶりかも?

そう思うと、お酒は結構私の役に立ってくれていた。

ただ、それは、問題から一時的に目を背けさせてくれていたという点で。

問題自体はなくならないから、飲んでもあんまり、というか、全然意味ないんだけど。

向き合わなければいけない問題には、遅かれ早かれ向き合う時がくるもんだ。

ならば、それは早い方がいい。

遅くなるといろいろ拗らせちゃうから。

 

つらい気持ちや心にひっかかる出来事は、ちゃんと咀嚼して、消化しないと。

だから、弱音を吐くことに罪悪感を持たなくてもいいんだ。

自分のことを可哀想だって思ってもいいんだ。

だけど、いつまでも浸ってちゃいけない。

「そんな悲劇のヒロイン面してたら、そのうちハートにまで毒が回るんだぞ(by山口ツトム、「ご近所物語」)」。

 

「悩んだり、苦しかったり、人生は平坦な道じゃないんだよな。でも絶対に希望をすてちゃいけないと思う。人生は信じた方向に進んで行くからね」

今朝、そう呟いてる方がいらした。

そうだ、そういうものなんだ。

私が今まで信じてきた=思い込んできた方向はいつも、自分が幸せになっちゃいけないイメージだった。

だけど、それって誰のため?私が不幸で嬉しい人いるの?私が不幸だったら、誰かが幸せになるの?

知らんがな。

私には、私の人生を決める自由と権利がある。

知らない、というかむしろ、居もしない誰かのために、不幸ぶっててどうする。

ほんとに不幸になるぞ。

 

昨夜はどしゃぶりだったけど、少し晴れてきたかな。

やっぱり、「イメージはいつでも雨のち晴れ」だ。

お酒やめてよかったな。

やめてなかったらきっと、ずっとどしゃぶりだった。

 

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雨のち晴れ、であれ

ミスチルはあまり聴かないけれど、

「雨のち晴れ」だけは、ちょっと気持ちが落ち込んでくると頭に浮かぶ。

あ、あと、「Youthful Days」もだな。

 

平穏がありがたいと思う。

だけど、平穏が怖い。

映画とかだったら、フラグでしょ、その後崩壊していく。

 

耐性が出来ていないんじゃないかと怖くなる。

ストレスにも、それをごまかすために飲んでいたお酒にも。

 

私は、とてもおこがましい人間だ。

私より大変な状況にある人に引け目を感じるってものすごく失礼じゃないか。

子育てにしたって、仕事にしたって、断酒にしたって。

 

子供がひとりしかいないから、子供が二人以上いる人から、ラクしていると思われることが怖い。

パートだから、正社員の人から子育てとの両立なんてできて当然でしょと思われるのが怖い。

大変な状況にある人から、恵まれた環境にいるんだから、断酒できているのは当たり前だろうと思われることが怖い。

 

こう思うことすべて、私と似た状況にある人を馬鹿にしているのと同じだ。

私は私の子育てをして、仕事をして、断酒をしているんだ。

他の人は関係ない、って言っちゃーあれだけど、つまりそれぞれの話なんだ。

 

だけど、今夜はあかん。

誰よりもダメな人間のような気がして仕方ない。

ホルモンが、またころころし始めたのかな?

水曜は休みをとれた。

一日仕事行ったらお休み、何の予定も入れていない、自分のためだけの。

だから、頑張ろう。

やること沢山あるんだ、落ち込んでるヒマなんてない。

雨のち晴れ、のイメージで。