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息子の発達について思うこと

今日は今年最後の「ことばの教室」(以下「ことば」)の日で、小児神経科の診察日でした。

「ことば」の言語聴覚士さん(以下先生)には、1年2か月お世話になっています。

手帳を見てみたら、思いつめてかかりつけの総合病院の小児科へ行ったのが、お酒をやめた時からちょうど1年前のことでした。

どうもその辺りに大きな決断をする傾向にあるようです。

ちょうど息子の誕生日から2週間くらい経つころだからかな。

いつもより自分と息子の来し方行く末を思うのかも。

それはさておき、先生は息子のためにいろいろ尽力してくださってとてもありがたいです。

指導も、自治体の療育施設の利用希望がなかなか通らなかった時も、子育て支援センターや役場に連絡をとってくださったり。おかげで自治体の療育にも通えるようになり、2週間に1度行っていた「ことば」は1~2か月に1度通う程度になりました。

「ことば」というだけあって、言語の指導がメインですが、発達についての知識ももちろん豊富な方なのでとても頼りになります。

今日は1か月ぶりの教室で、先生から「文字や言語の理解も進んで、会話も成り立つようになったし、本当に成長しましたね、将来が楽しみですね!」と言ってもらえました。

それに、「お母さんも、よく頑張ってますね」と言ってもらえました。

でも、正直、私がやっていることなんて療育に関する手続きと息子を病院や療育に連れていくことだけで、日中は保育園で見てもらっているし、家ではしまじろう頼み。

その上、つい3か月弱前には飲んだくれてすらいた。

息子の成長は、息子自身の頑張りと「ことば」や療育の先生の指導のおかげとしか思えない。

息子のことはいつも私に全責任があるし、うまくいかないときはすべて私のせい、と思っているので、そんな言葉をかけてもらっても、いやいや、何も頑張れてません・・・としか言いようがないです。

でも、先日のお酒を飲まないことに対する夫の反応が嬉しかったのと同じで、私なんて何もできてない、頑張れていないと思うけれど、少しでもほめてもらえると、たとえお世辞でも嬉しい。

 

生活していくだけで精一杯で、息子の発達に対して、私にできることはほとんどない。

それなのに飲んだくれている自分が情けなくて恥ずかしくて大嫌いだった。

私が飲んだくれなのは、息子の精神的な発達にも、教育的にもよくないだろうということはわかっているのにやめられない、どうしようもない人間だったと思う。

私にできることは、あんなみっともない姿をもう二度と息子に見せないことくらい。

お手本になるような生き方ができるとは思えないけど、せめてひどい母親だとは思われたくない・・・。

 

「ことば」の後、小児神経科の先生の診察待ちの間、小児科にいつもいる保育士さん(母の教え子の保護者なのと、息子が常連なので気心がしれている)とお互いの息子の発達について話をしました。

親はいつだって、子供のことを心配してなんとかしてあげたいと思っているんだけど、知識が不足していたり、現状をなかなか受け入れられなかったりしてうまくいかないこともある。余計なこと言っちゃったりして裏目に出たり。

ほんと、難しい。血のつながった子供とはいっても、全く違う個体。完全に理解しあえることはない。性差も大きい。

必死で子供のことを考えているんだけど、子供からは「愛してくれなかった」とか「何もしてくれなかった」と言われたりもする(私の母のように)。

どうするのが正解なのかな。

正解なんてないんですよね、たぶん。

ほんと、飲んだくれてる場合じゃないわ。

 

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