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拘りのこと

最近ツイッターで相互フォローさせて頂いていた健康管理士の方とのやりとりで、私の「こうでなければならない」「こうであってはいけない」みたいな強い思いは、「強い拘り」であると気づきました。

「拘り」といえば、私はADD疑惑があるので、そういう気質の発露なんだろーなぁと思ったり。

ADDっ子の気質に、「強い拘り」というのがあるようなので。

それに、私は、教師の母とこれまた教師の祖父の管理の下育ったので(特に亡祖父は校長先生とか地域の役職についていて厳格で外面も良かった)、道徳的に「正しく」あらねばならないと強く刷り込まれているのだと思います。

だから、「正しい」生き方・考え方をせにゃならんのに、なかなかそのようにできないことへの葛藤で自分を追い詰めてしまうのかなーと思いました。

お酒を飲んで酔っていれば、そういうことから解放された。

「べき」「せねば」「あってはならない」を忘れられる。

 

以前うつになって休職した職場がまた、「法律」なんてものを扱う大変厳しい人たちに囲まれた、がっちがちのところだったので、相乗効果がすごかったんだろう。

だからお酒ばっか飲んでたな。子供もいなかったし、夫も仕事であまり家にいなかったから、どんだけでも飲んでられた。

あー、思い出しただけで孫悟空みたいに頭のわっかが締め付けられるような感じがする。

だけど、法律とかプログラミングとか、はっきり定義されたものって安心するから、そういう仕事に就いてきたし今も就いているんですよね。今の職場も前職と同じ仕事だけど、ボスが割とゆるーい人らだし、大変な仕事はやらされないので追い詰められずにやってられます。

 

それは置いといて、「拘り」ですが、私が飲酒生活から足を洗おうと思ったのは、私が思う「お母さんとはこうあるべき」だと拘っていた姿が、飲酒していては叶いそうもなかったからというところもあります。

おかげで今はお酒をやめていられるし、そのことでいいことはあっても悪いことはない。

だから、「拘り」が悪いんじゃなくて、「いい拘り」と「よくない拘り」があるんだろうな。

多分これから先も、私は「拘り」を完全に捨てることはできないだろう。

それなら「いい拘り」と「よくない拘り」の判別を、うまくできるようになりたい。

やんわりとあいまいにしておくこと、妥協も必要だというのは分かるんだけれど、まだできそうにない。

「よくない拘り」の判別をして、それを捨てる練習をしていくうちにグレーだったり、妥協だったりもできるようになればいいな。

もちろんすべてに強い拘りがあって何事にも妥協できないという訳じゃないので、きっとできるんじゃないかな。

 

もやもやと抱えていた問題がひとつ、形を持ったおかげで少し安心した。

思わぬ流れからたどり着けた。

やっぱり自分だけで考えてちゃだめだな。

人の話を聞くのって大切だ。

関わってくれる人がいるのって、本当にありがたいことです。

このブログをあげたら、またありがとうございますってリプしとこう。

 

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